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【感想】小説版 めだかボックス(下) 第000箱「杁理知戯のおしとやかな面従」

小説版 めだかボックス (下) 朳理知戯のおしとやかな面従または椋枝閾の杯盤狼藉マニフェスト (JUMP j BOOKS)小説版 めだかボックス (下) 朳理知戯のおしとやかな面従または椋枝閾の杯盤狼藉マニフェスト (JUMP j BOOKS)
(2012/06/04)
西尾 維新、暁月 あきら 他

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さて、小説版めだかボックス締めを飾る下巻。
一人目は久々原の隣人にして助言者、杁理知戯。
ある意味では、久々原よりも受け入れがたい性格のようですが・・・。
ま、さっそく感想といきましょうか。


ただ、従う。
自我が無いわけではなく、ポリシーがあるわけでもないけれど、
ただ、従う。
そもそも人に従うという行為は、強制力のある場にしか、
生まれ得ないものだと思うんですよね。
一番わかり易いものは、『報酬』。
別に金銭が絡んで無かったとしても、立場であったり名誉であったり、
何かしらを求めて人は人に付き従うものだと思います。
だから、杁のこの姿勢はきっと誰からも異様に写ったとおもうのですが、
大人という生き物は、往々にして異常さには目を瞑るものです。
あるいは、場所が箱庭学園だということで感覚が麻痺しているのかもしれません。

さて、杁理知戯といえば、常にタブレットをいじりながら会話をするという姿勢。
もっと言えば、相手の顔を見ずに相手と話をするという姿勢。
一般的な思考で、一般的なことを言うならばそれは『失礼』に当たる行為です。
それが例えば上司から部下に対する会話の姿勢だったとしても、
常識的に考えて失礼。でも、この学園の『常識』ってなんだ?
まず、生徒が常識的じゃあない。
当然、それはそういう生徒達を集めているから。
学校というのはひとつの組織なわけで、その組織の中で生徒と先生という、
二大派閥があると考えたとき、その二つが常識派と非常識派で二分していた場合、
多分そう長い期間をおかずにその均衡は瓦解すると思います。
だから、多分教師陣も生徒たちの『感覚』に知らず知らずのうちに取り込まれているはず。
と、感覚が麻痺したところで改めて杁の会話スタイルを見てみたとき、
いったいなにが問題に見えるだろう。
「どうして人の顔を見ながら話さなければならないのか?」という疑問に答えられないくらい、
至極当然の主張のように思えてくる。

途中に出てきた、「できる人間は働かなければならない」という考え方。
そして前回久々原に対して真黒が「できる人間は出来ない人間の奴隷」という表現。
この二つをとって、改めて考えてみたのですが、結局世の中『多数決』なんですよね。
できる人間と出来ない人間を天秤にかけたとき、間違いなく出来ない人間の方が多いです。
仮にAという才能に秀でた人間がいたとしても、Bという才能に秀でた人間の前では、
Aの持ち主はただの凡人に成り下がります。
特定の分野ごとに、できる人間としてやり玉にあげられる人は圧倒的弱者。
能力を持った弱者です。
弱者がこの世の中で生き抜いていく方法があるとすれば、
それは強者に付き従うということぐらいです。
そう考えると、杁の面従姿勢はここからきているのかもしれませんね。

しかし最後の黒神めだかとの邂逅シーン。
しかも、上から目線性善説でもなく、上から目線でさえなく、
物理的に高い位置から見下されたこのワンシーン。
『面従腹背』という言葉があります。
内心では嫌々ながらも、付き従う姿勢のこと。
しかし内心もなにもあったものではなく、タブレットという仮面によって、
己の心の内を隠していただけで、お淑やかでもなんでもなく、
その姿はあまりに醜かったのでしょう。
蔑まれながらも輝きを見せる、マイナス十三組の担任が似合うそんな姿、
だったのでしょう。

| めだかボックス | 20:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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